透明な視線

頭の中が空っぽで過ごせるようになりたい。

 

わたしのあたまの中は、

「こうしなきゃ、ああしなきゃ」という言葉が所狭しとつまっている。

 

例えば、

水と石鹸で手を洗う時でさえ「こんな風に動かさなきゃ」と無意識におもってしまう。

前は思っていることすら気づいていなかったのだけど(無意識にといっているくらいだから)、最近はおもっている途中で気づくようになった。

昔軽度の強迫性障害を患っていた名残なのかな?ともおもう。

 

もう、誰にも、視られてないんだから

はやく楽に過ごせばいいのにと自分自身におもう。

 

透明の嘲笑的な視線は、いつなくなる?

 

 

 

恋人との日曜日

恋人の家。

恋人の好きなアーティストのライブ映像を、わたしが持ってきたDVDプレイヤで観る。

 

軽やかで細い女性の歌声がきれいで癒される。

 

 

わたしにこんな日曜日がくるとおもってなかった

わたしが来てから物が増えたりして、

恋人の家には生活感がでたらしい。

たった数日のことなのに、わたしが恋人に変化を及ぼしているのがすこしうれしい。

 

 

わたしたちは2021/5/1に付き合った。

出会いは今どき。

だけどもっとロマンチックな出会いをしたっていう錯覚に陥るくらい、彼とわたしが過ごす時は彩り豊なもので。

 

2回目に会った時

彼への遅めの成人祝いで

はじめて人に花を贈った。

お花屋さんにいったとき、彼の顔が浮かんだ花にした。黄色いガーベラだった。

それに手紙を添えた。

 

 

これからどんな日々を過ごすんだろう。

 

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ふしぎ

こんにちは。

 

いま、ショートステイ先に来ています

 

いちばんの感想は

「安心感がある」

 

 

 

実家よりもずっと安心感があります

ふしぎです。

わたしはべつに家族と特別仲がわるいとか、そういうのはない。

だけど、やっぱりわたしにとって居心地はよくなかったのかもしれません

本も読めないのです

 

 

お父さんとお兄ちゃんはよく喋ってるし、ご飯も一緒に食べてるし、お父さんはお兄ちゃんにはやさしくてわたしには、、

 

そう思ってしまう。

実際はお兄ちゃんとあたしと、接し方は一緒なのかもしれない。あたしにも優しいのかもしれない。

もっと言ってしまえば、わたしだって人によって態度はちがうと思う。だから接し方がちがってもなんとも、言えない。

 

だけど、お兄ちゃんと話してる方がよく笑ってる気がするんだあ

 

 

 

わたしの感じにくいストレスって、

こうやって蓄積されていっているのかな?とおもいます

そしていっぱいになって、まんたんになってしまうと、叫び出す、それよりも発狂という言葉の方があってる。

そうなってしまいます

 

 

 

そういえば、 ふしぎ  と言えば

こんなことがありました。

 

最初の入院。医療保護入院になったときです

わたしは「赤毛のアン」がよみたくなったのです。なぜだかはわからない。

それでお父さんに電話で頼みました。

だけど、持ってきて貰えませんでした。

それはどんな理由だったかは覚えていませんが

家にあったわけでもないので、買ってきて欲しかったことは覚えています。

 

そして、その翌日のOT(という時間があるのです)の時。

入ってみたらどうでしょう。

そこには大きな画面で

映画の「赤毛のアン」が流れていたのです

 

 

 

ほんと、不思議ですよね。

その当時は、「○○さん(当時好きだった人)が盗聴してあたしのために病院に赤毛のアンを流せ、って指示したんだ、、、だからやっぱりこの病院も○○さんが支配してるんだ!」

と、思っていました

 

 

そのほかにも、頭の中で「向こうにいったらいいことがあるよ」という指示の声が脳内に浮かんだのでそちらの方へと行ってみると

わたしの無くしていたペンがあったりだとか。

 

妄想がこうやって強固たるものになっていくのを、体験しました。

 

 

 

 

わたしの  ふしぎ  は、以上です。

以上ですとはいったけど、ほんとはもっとあるけどね笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

躁転しかけ

こんばんは。

お久しぶりです

 

今多分躁状態になりかけてます。

色んな前兆として症状も出ているんですが、

なによりも体感的にわかります。

 

沈めようと頑張ってみました。

なんだか一旦落ち着きます。

なのにすぐにぶり返すし、なにかしたくなるんです、電車なのに。

 

だから今ブログをかこうと文字をフリックしています。

 

 

 

そして本題ですが

今回、躁転しそうになったからわかった大きな進歩がありました。

 

第一に、沈めようと判断したこと。

 

第二に、いくつか発見がありました。

 

それは、

「無理に沈めようとしてもリバウンドしてしまう。だからこうやって考えが湧き上がってくるならカタチにすればいい」と思ったのです。

 

そしてここからが言いたい。

 

これは、「なんでもできる!!このままブロガーもしくは作家になるぞ」とは違います。

 

今の私はただ、

躁状態になりかけてるから考えが湧き上がってきたり、なにかしたくてたまらない、だから我慢せずやればいい」

という気持ちでかいています。

 

つまり、この「なんでも出来そうな感覚」をうまく使おうと思ってないです。

むしろ沈めるために、しているのです。

 

「なんでもできる感覚があるけれど、これは病気の症状なのだ」と、認識しているのとしていないとでは大きな違いがあると思います。

 

そして、

認識していたとしても、今まではそれをうまく使おうと考えてしまっていました。

一見良い考え方のように思えますが、

「この感覚を使って何かするんだ!」と欲張ってしまい、寝ない、等の休まないという選択をつい取ってしまう傾向にあったのです。

 

そうすると変なことしちゃうし、気も大きくなるし、まあ散々なんです。

 

この全能感(意味あってるかな)はずっと続かないこともわかっているのも大きいと思います。

 

 

 

今電車で感じた、浮かび上がった考えは以上です。

 

   

ここからは余談のような話ですが。

 

この前借りた本に、”統合失調感情障害“(私が患っている病気)について書いてあるページを読みました。

そこには、「慢性の病気であるが、コントロール可能である」とありました。

これを読んで、自分の動き次第で生活できるんだ、と知れました。

このコントロールが難しいのは百も承知ですが。笑

 

でも、「コントロール可能」という言葉がわたしの中に入ってきたのがポイントだったのかもしれません。

この文章を読んでいなかったら、

躁転しそうなのはわかるけど、うまく沈められるかな、できなかったらまた変なことしちゃうだろうし、どうしよう」と、不安に苛まれ、ただわかっただけでどう行動すればいいか考えられなかったと思います。

 

今も、音楽を聞きながらかいていますが、

アップテンポな曲ではなく、ローテンポな曲を選んでいます。

 

ここも「躁転しそうなんだから音楽聞くのも刺激だ!聞いてはだめだ」と一瞬思いましたが、すぐに考え直して「音楽を聞きたい気持ちもあるから、ゆったりした音楽で様子を見てみよう」となりました。

 

 

という、

躁転しかけた夜の話でした。

 

この話を後日カウンセラーさんに報告すると

「難しいことをできてるよ、すごい」

と言ってもらいました。

自分と向き合ってきてよかったなあと思えます。

 

病気と仲良く暮らせますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしを見守ってくれてると思ってた

最初の自己紹介で書いた通り、わたしは統合失調感情障害という病気を患っています。

 

それを踏まえてこれから書くことを読んでいただきたいな、と思います。

 

わたしの急性期(統合失調症の4つの段階のうちのひとつ)は、高校三年生の冬から春にかけてでした。

躁状態を伴う妄想が激しかったです。

 

当時の付き合ってもないただ好きな人に街をあげてサプライズでプロポーズされると思い、色んな知らない人に話しかけながら(喫煙所に入って「なんでタバコを吸ってるんですか?」と聞き回ったり)街を徘徊しました。

街の人達が全員仕掛け人だと思ったので、すれ違う人すれ違う人の荷物がプレゼントだと思っていました。

その他に、父親と兄に性的虐待を受けたという被害妄想が激しく、ホテル滞在を何週間かしていました。

家で叫びながら暴れ回り、ガラスでできたドアを蹴破ったこともあります。

その時の縫った傷は未だに足首に残っています。

あと、「わたしは欲望にまみれていて汚いから」と、紫色のペンで両腕を塗りたくりそのまま電車で帰ったこともあります。

「欲望にまみれて汚いシリーズ」は入院中もあり、皆が歩いている廊下の地べたに寝転んで「わたしは汚い」ことをアピールしたこともありました。

 

ここに書いた以外の人には言えないようなこともしてしまったことがあります。

病気故に。と言わないとわたしは精神がもちません。

 

こんな私ですが、マリリン・モンローに救われていました。

マリリン・モンローの言葉」という山口路子さんの本をきっかけにです。

おこがましさ満点ですが、わたしはマリリン・モンローに強く共感していました。

だから、わたしはマリリン・モンローの生まれ変わりか、もしくは何処かで見守られている存在だと思ってやみませんでした。

 

そんなことを思い込み、信じ込んでいるわたしのところに、マリリンがカメラをこちらに向けたのです。

これは比喩ではなく、といっても、電車の広告なのですが。

 

でも、

色んな広告がぶら下がっている中で、その広告が綺麗に目に入るところに座ろうとした、そして亡くなって長く経っているマリリン・モンローが2018年に広告として使われている、しかも「カメラをこちらに向けている」写真、その横には「恋した瞬間。」という文字。

それは、「貴方を見守っているよ」というメッセージだと感じ取りました。

色々な偶然が重なったことも、どうしても奇跡に思えて仕方がなくて、

マリリンは見守っている、と改めて思いました。

 

これは統合失調症の妄想の中に入っているんでしょうが(多分)、でもいい思い出です。

 

その時撮った写真は本当に宝物です。

よく撮ったな、残してくれたな、と自分に表彰したいぐらいです。

乗車した位置から動かず撮りました。

それを載せて終わります。

 

この話は、私にとって宝物のような大切な話です。

話したいけど、話したくない、そんな話です。

 

 

 

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私の誕生日と感情の自由

こんにちは。

 

昨日はわたしの誕生日でした

父親に「21歳になったよ」と言うと、

「大きくなるのがはやいなあ」と言われました。

 

色々あったなあ。

お父さんにだっこしてもらったことを一番最初に思い出しました。

その次に、私の苦しみの元凶となった人々を恨みそうになりました。

思わず口から、「どんだけ苦しかったか」と出てしまいました。

 

「恨んだって仕方がないよ」と、言われるのを心の奥底で恐れていましたが、今はそんなの関係ない。

わたしの気が済むまで恨ませろ、と思います。

仕方がないかどうかは、恨んでみないとわからない。

気がすんだらいつの間にか無くなっている感情なのではないか、と思うのです。

 

犯罪に手を染めない限り、自由なんじゃないですかね。

 

短いけれどではまたっ。

 

 

 

 

不安や緊張

夜空に飛行機雲がかかっていました。

明日は雨かなあ。

 

今はくるりをききながら散歩中です。

ぼんやり色々と考えています。

 

バイト、しようかなあ、、、。

できれば本屋さんがいいです。

なんでだろう?そんなこと問われても困るな。

自分で問いかけてしまうんですけど、自分が困っているという変な状況に、、、、。

 

 

  そう。バイトをするにあたって、面接があるじゃないですか。

それがもう苦痛で。なんで人にこの人はうちに必要かそうでないか、ジャッジされなきゃならないんだ〜と思います。

そう考えると緊張してしまうんですけど、

今の今までいかに緊張しないようにするか、を考えていました。

 

だけど、そんなこと考えなくていいんですね。

緊張してしまうんなら緊張すればいいですね。

コントロールできてたら困ってないですもん。

 

しんどいものは、逃げないで

受け止めた方が案外はやく片付くのかもしれません。

 

「うまくやろうとしなくていい。だって取り繕ってもうまくはできないから」

と本で読みました。

その通りですね。

 

ああ、本を読んでいて良かったと最近

よく思います。

 

わたしは本に救われています。

あなたは何か支えがありますか。

 

 

あ、あとこうやってブログを書くことにも救われています。

見てくれたらもっとうれしい。

だからここまで読んでくれてどうもありがとう。

 

最後に今日撮った写真を載せておきます。

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