わたしを見守ってくれてると思ってた
最初の自己紹介で書いた通り、わたしは統合失調感情障害という病気を患っています。
それを踏まえてこれから書くことを読んでいただきたいな、と思います。
わたしの急性期(統合失調症の4つの段階のうちのひとつ)は、高校三年生の冬から春にかけてでした。
躁状態を伴う妄想が激しかったです。
当時の付き合ってもないただ好きな人に街をあげてサプライズでプロポーズされると思い、色んな知らない人に話しかけながら(喫煙所に入って「なんでタバコを吸ってるんですか?」と聞き回ったり)街を徘徊しました。
街の人達が全員仕掛け人だと思ったので、すれ違う人すれ違う人の荷物がプレゼントだと思っていました。
その他に、父親と兄に性的虐待を受けたという被害妄想が激しく、ホテル滞在を何週間かしていました。
家で叫びながら暴れ回り、ガラスでできたドアを蹴破ったこともあります。
その時の縫った傷は未だに足首に残っています。
あと、「わたしは欲望にまみれていて汚いから」と、紫色のペンで両腕を塗りたくりそのまま電車で帰ったこともあります。
「欲望にまみれて汚いシリーズ」は入院中もあり、皆が歩いている廊下の地べたに寝転んで「わたしは汚い」ことをアピールしたこともありました。
ここに書いた以外の人には言えないようなこともしてしまったことがあります。
病気故に。と言わないとわたしは精神がもちません。
こんな私ですが、マリリン・モンローに救われていました。
「マリリン・モンローの言葉」という山口路子さんの本をきっかけにです。
おこがましさ満点ですが、わたしはマリリン・モンローに強く共感していました。
だから、わたしはマリリン・モンローの生まれ変わりか、もしくは何処かで見守られている存在だと思ってやみませんでした。
そんなことを思い込み、信じ込んでいるわたしのところに、マリリンがカメラをこちらに向けたのです。
これは比喩ではなく、といっても、電車の広告なのですが。
でも、
色んな広告がぶら下がっている中で、その広告が綺麗に目に入るところに座ろうとした、そして亡くなって長く経っているマリリン・モンローが2018年に広告として使われている、しかも「カメラをこちらに向けている」写真、その横には「恋した瞬間。」という文字。
それは、「貴方を見守っているよ」というメッセージだと感じ取りました。
色々な偶然が重なったことも、どうしても奇跡に思えて仕方がなくて、
マリリンは見守っている、と改めて思いました。
これは統合失調症の妄想の中に入っているんでしょうが(多分)、でもいい思い出です。
その時撮った写真は本当に宝物です。
よく撮ったな、残してくれたな、と自分に表彰したいぐらいです。
乗車した位置から動かず撮りました。
それを載せて終わります。
この話は、私にとって宝物のような大切な話です。
話したいけど、話したくない、そんな話です。