躁転しかけ
こんばんは。
お久しぶりです
今多分躁状態になりかけてます。
色んな前兆として症状も出ているんですが、
なによりも体感的にわかります。
沈めようと頑張ってみました。
なんだか一旦落ち着きます。
なのにすぐにぶり返すし、なにかしたくなるんです、電車なのに。
だから今ブログをかこうと文字をフリックしています。
そして本題ですが
今回、躁転しそうになったからわかった大きな進歩がありました。
第一に、沈めようと判断したこと。
第二に、いくつか発見がありました。
それは、
「無理に沈めようとしてもリバウンドしてしまう。だからこうやって考えが湧き上がってくるならカタチにすればいい」と思ったのです。
そしてここからが言いたい。
これは、「なんでもできる!!このままブロガーもしくは作家になるぞ」とは違います。
今の私はただ、
「躁状態になりかけてるから考えが湧き上がってきたり、なにかしたくてたまらない、だから我慢せずやればいい」
という気持ちでかいています。
つまり、この「なんでも出来そうな感覚」をうまく使おうと思ってないです。
むしろ沈めるために、しているのです。
「なんでもできる感覚があるけれど、これは病気の症状なのだ」と、認識しているのとしていないとでは大きな違いがあると思います。
そして、
認識していたとしても、今まではそれをうまく使おうと考えてしまっていました。
一見良い考え方のように思えますが、
「この感覚を使って何かするんだ!」と欲張ってしまい、寝ない、等の休まないという選択をつい取ってしまう傾向にあったのです。
そうすると変なことしちゃうし、気も大きくなるし、まあ散々なんです。
この全能感(意味あってるかな)はずっと続かないこともわかっているのも大きいと思います。
今電車で感じた、浮かび上がった考えは以上です。
ここからは余談のような話ですが。
この前借りた本に、”統合失調感情障害“(私が患っている病気)について書いてあるページを読みました。
そこには、「慢性の病気であるが、コントロール可能である」とありました。
これを読んで、自分の動き次第で生活できるんだ、と知れました。
このコントロールが難しいのは百も承知ですが。笑
でも、「コントロール可能」という言葉がわたしの中に入ってきたのがポイントだったのかもしれません。
この文章を読んでいなかったら、
「躁転しそうなのはわかるけど、うまく沈められるかな、できなかったらまた変なことしちゃうだろうし、どうしよう」と、不安に苛まれ、ただわかっただけでどう行動すればいいか考えられなかったと思います。
今も、音楽を聞きながらかいていますが、
アップテンポな曲ではなく、ローテンポな曲を選んでいます。
ここも「躁転しそうなんだから音楽聞くのも刺激だ!聞いてはだめだ」と一瞬思いましたが、すぐに考え直して「音楽を聞きたい気持ちもあるから、ゆったりした音楽で様子を見てみよう」となりました。
という、
躁転しかけた夜の話でした。
この話を後日カウンセラーさんに報告すると
「難しいことをできてるよ、すごい」
と言ってもらいました。
自分と向き合ってきてよかったなあと思えます。
病気と仲良く暮らせますように。